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Channel: 泰西古典絵画紀行
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江戸時代の日本地図 (1)石川流宣の日本図

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(1)本朝図鑑綱目 貞享4(1687)年 相模屋太兵衛 初版 60x130cm
 日本図を地形の正確さから離れて,全体をデフォルメし輪郭に装飾的な曲線を多用した独特の美感で仕上げている.さらに,地図中には宿場や名所を記載した道中図としての性格をもたせると共に,各藩の大名や禄高を記して,武鑑としても使用できるよう配慮して,買い手のニーズに応えることに重点を置いている.周囲の余白には江戸から各地への距離などの一覧表が掲載されている.
 初期の本図は,多彩色で国を色分けし海を青色で仕上げられた美術品的価値のあるものが多く,価値のある地図として貴人への贈答品に使用されたものもあろう.かなり高価なため,入手は保留.
 本図は,その武鑑的性格から,数年毎に大名の異動などを正して改訂再板されていく.元禄15(1702)年には大日本正統図鑑と名を変えて相模屋から改板されるが,正徳2年に板は山口屋に移り,短期間再板された.
 これとは別に,京都の書肆で地図出版に長けた林氏吉永が貞享5年に同図を出版している.秋岡によれば,相模屋板と同一の内容(同版)とされているが,同一の板かどうかは吟味する必要があるかもしれない.その後の宝永7(1710)年板以降は70x165cmほどに拡大され,延享年間(1744-1748)まで出版された.

・延享改正板 林氏吉永 印面67x164/紙面68x165cm

 手彩色で黄・緑(褐色に褪色)・朱が入っている.
 秋岡によると延享改正板には,本図のように京都所司代牧野備後守・大阪城代阿部伊勢守とあるもの,他の名のあるもの,名の無いもの,の異板三種があるという.

(2)日本海山潮陸図 元禄4(1691)年 相模屋太兵衛 初版
 本朝図鑑綱目の日本図から,さらにデフォルメは進み,広くなった紙面全体を占めて配置された太身の日本図である.そのため四国などは90°回転してしまっている.江戸の街道口にはすれ違う旅人が描かれ,海には和船や唐船が多数浮かんでいるなど,装飾的要素も増している.記載された情報量も本朝図鑑綱目に比べると,さらなるニーズに応える形で格段に増えている.上杉によれば,増えた情報量は東高西低で,江戸での出版においては,畿内を超えた西国の情報源が乏しかったことに起因するらしい.
 この地図が1715年に刊行されたレランドAdrien Relandの日本帝国図の基図であることはよく知られているが,あいにくと地形的には不正確な情報が伝えられることになったようだ.

元禄16年板より東海道~江戸から大井川まで~

 相模屋は元禄14(1701)年板からこの図の左端下方の潮汐回転盤を表に変えて,日本山海図道大全として宝永4(1707)年まで再版したが,翌年に板は山口屋権兵衛にわたり大日本国大絵図として享保10(1725)年ごろまで再版された.この板は享保15年に平野屋善六に渡った後,出雲寺和泉椽がこれを引き継ぎ,同名で延享2(1745)年から明和10(1773)年まで出版されたことが知られており,さらに刊行年無記入の図も存在している.これらは総称して,流宣大型日本図と呼ばれる.

・日本山海図道大全 元禄16(1703)年板 相模屋太兵衛 82x170/100x171cm
 手彩色で海は青く塗られ,国の色分けは黄・赤・緑・灰・朱(酸化して一部黒変)と多彩で美しい.余談だが,最低何色あれば地図の色分けが可能であるか,それは4色のはずだが証明できないまま四色問題として1世紀以上数学者の課題となっていたが,1976年に証明され,その後追認され四色定理とされている.日本海山潮陸図の初版といえども,海は青いが,国は必ずしも色分けしていたわけではなく,むしろ国名を黄,宿場を黄か朱,山を緑にとどめている図も少なくはなく,むしろ日本山海図道大全のほうが国の色分けしたものは多い気もする.
 大名や石高は手書きの付箋で一部修正されている.版木は縦3x横4に分割されていて,初期の板では印刷済みの紙をうまく貼ってついでいたようだが,手間がかかるため,その後,版元が変わってからであろうか,時代が下ると縦長の紙に上中下の板を繋げて印刷したうえで,それらを横に張り合わせて仕上げるようになったと見られる.次第に版木の継ぎ目が開いてくるらしく,後版では版面にも横に白いスリットが目立つようになってゆく.

 
・大日本国大絵図 享保15(1730)年板 平野屋善六 82x170/103x171cm




・大日本国大絵図 安永7(1778)年板 出雲寺和泉椽 81x171/85x174cm
 これは,管見の限りでは世に知られていなかった板で,刊記のあるうちでは恐らく最後のものであろう.長久保赤水の改正日本輿地路程全図の刊行が翌 安永8年であることは興味深い.その出版後,日本図の主流は赤水図となる.すなわち,買い手の関心が従来の流宣図から,時代の変化によってより正確な地誌情報を求める様になったものと考えられよう.

参考:歴博より,流宣日本図の地理情報
主要文献:秋岡武次郎,日本地図史,1955 1997の復刻版による
     地図出版の四百年 金田章裕・上杉和央, 2007


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